2005年01月05日

じいちゃんの涙

カイゴの仕事をしているといろんな事を経験する。
前にも書いたが、僕たちの仕事は目の前にいるお年寄りの背中を見ている仕事です。


「我が妻が死んじゃったって・・・」
じいちゃんは甥っ子に車椅子を押され、廊下を歩く僕の姿に気づき、泣きながらそう声を掛けました。
  
軽度の認知症(痴呆症)のじいちゃんは、僕の顔を覚えていてくれてよく頼りにしてくれている。
 プライドが高いが、ユーモアがあって、優しいじいちゃんでよく怒られもするが誉めてもくれる。
施設に入所している事は自分でも理解できていると思う。
最近は家に帰りたいとあまり言わなくなった。
きっと諦めてしまったのかもしれない。
それでも話をすれば、家の話が中心になる。

そんななか、体調を崩されていた奥さんが危篤状態だから、最後になるかもしれないと、この前家族と外出された。
職員は不穏になるんじゃないかと、帰ってきてからの事を心配していたが、じいちゃんは落ち着いていた。



そして今日、亡くなられたと家族が面会に来た。
じいちゃんには子供がなく、甥っ子が面倒を見てくれていた。
甥っ子にしても、きっとどうしていいか分からないぐらいの事だと思う。


目を真っ赤にして、大粒の涙を流しながら
「妻が死んじゃったって。俺の妻が死んじゃったって。淋しくて、淋しくて。」
とその気持ちをストレートにぶつけてきた。

どう声を掛けていいか分からなかった。

家族が帰った後に、一緒になって泣いた。
淋しい淋しいと言って泣くじいちゃんの肩を抱いて、一緒に泣くぐらいしか出来なかった。

家族も忙しいのだろう、一緒に帰れない状況を説明していたのだが、じいちゃんは納得できず、早く帰りたいと話していた。
僕たちにはどうする事も出来なかった。




ボケる事は悪い事ばっかりではないと僕は思う。
気持ちを素直に表現できるようになると思うし、忘れられることもあると思う。
ある人は、ボケる事で死ぬ事への恐怖が少しなくなったとも言っていた。  

そして、どんなにボケたとしても感情は表現できるし、訴えることもできる。

それに僕たちが気づいているのだろうか。
忙しさに流されてはいないだろうか。
コミュニケーションは言葉だけではない。
ゆっくりと接することを忘れないでいたいと思った。 
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posted by サワ at 03:36| Comment(9) | TrackBack(0) | カイゴのシゴト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おじいさんの話しを聞いてくれて、ありがとう。

おじいさんと一緒に泣いてくれて、ありがとう。

おばあさんと歌を歌ってくれて、ありがとう。

おばあさんと手を繋いでくれて、ありがとう。

Posted by at 2005年01月05日 22:03
不覚にも、感動してしまいました。(荒削りだけど?)こうやって一緒に泣いてくれる、職員が要るってことはおじいさんにとって、幸せなことだとおもいますよ。僕も色々と考えることがあり、道は違えど友が、共に悩み考えていてくれることが心強いですよ。
 今日、来年度も連続の年長担任どうか?っていわれました。ようやく少し一人前と認めてもらえたということで、嬉しいのですが母体と現場の保育観の違いや、待遇改善問題で、内情は大変です。たまにはゆっくり語りたいですな〜。
Posted by はやと☆ at 2005年01月05日 22:15
Posted by yosikazu at 2005年01月05日 23:04
Posted by at 2005年01月05日 23:04
正月のスライドショウを思い出した。私の儀父母の姿と重なり,歳をとること,老いていくこと、そして夫婦の愛情のこと、感激しました。仕事から学ぶこと多いですね。
Posted by yosikazu at 2005年01月05日 23:13
夫婦・家族っていつも一緒にいるつもりでも、
いつかはどちらかが先に旅立つんですよね。
分かりきった当たり前の事なのに、忘れがち。
私たちはまだ若くて実感が無いけども、
高齢の方はある程度覚悟しているんでしょうか。
生きているうちに大事にしてあげたい。
優しくしてあげたい。
して上げられる事は少ないけど、時間は大切に使いたい。
実行するのは難しいけども、そう思って行きたいですね。

おじいちゃんの余生が安らかでありますように。
Posted by まみぞう at 2005年01月05日 23:45
感動しました。初心に戻りました。僕らは日々同じ顔を見て、同じ業務をこなしている。そうなると利用者に対する摂し方が大ざっぱになってしまう。業務第一に考えて都合良くしてしまう。仕事と割り切り適当に摂してしまう。利用者を1人間として生きる権利、考える権利があるとして、そして施設で残り少ない余生を穏やかに過ごし全うして頂けるようにするのが僕らの役割だと痛感しました。
Posted by フジ at 2005年01月06日 02:04
沢くんが、精一杯の思いで、一緒に泣いたこと。その優しさに感動しました。また、自分だったらどうゆう対応をしただろうかと考えさせられました。長い
Posted by チハル at 2005年01月07日 22:13
たくさんのコメントをありがとうございました。
まだまだ私自身勉強中で、今回の件で生きる事、死ぬ事、考えさせられました。
 じいちゃんはホントに淋しそうでした。それでも、外泊するときには「また帰ってくるから頼む!」と言葉を掛けてくれました。どっちが元気付けられてるんだか。
 
>名無しさん
 文章にすると多少大げさに聞こえてしまうかもしれません。あたりまえだと思っている事を、あたりまえにこなす。とっても難しい事ですが、共感すると言う事をとっても大切にしたいといつも考えているつもりです。現実は厳しいですが・・・。

>はやと☆
 いつもコメントありがとう。それだけ見てくれてるってことかな。遠くに居るけど、こうやって少しでも僕の近況が伝えられていること、またそれを見てくれているはやと☆の姿が目に浮かびます。(ニヤッってしてんじゃねーよw)
とってもうれしく思ってます。
同じ人間相手、まだまだお互い修行が必要ですね。共に頑張りましょう!

>yoshikazuさん
 いつも読んでくださっているそうで、ありがとうございます。コメントが来るなんて驚きました。うれしいです。またお願します。
 僕は祖父母が4人も増えてとってもうれしく思って居ます。祖父には何もしてあげられないまま亡くなってしまいました。まだ祖母が居ますが、今のうちにたくさん話しをしたいと思ってます。
 また、おじゃまします。

>まみぞうさん
 いつもありがとうございます。
 今回の記事は自分的に、書こうか悩みました。
 でも、悪い事ではないし、僕が感じた事をなるべくストレートに書いたつもりです。
 結婚してまだ日が浅いですが、いつかは来る別れに対して後悔の無いような人生でありたいと思いました。まだまだ勉強です。

>フジ
 いつもありがとう。
 真面目なコメントありがとう。
 僕たちは貧乏性で、動いていないと働いてない気がしてしまいがちです。時間が余ると、すぐに雑務に逃げてしまいがちです。でもこれは仕方が無い事。
 大きな声で「ちょっと利用者と散歩に行ってきます!」「今日は利用者とご飯食べます!」って言ってみよう!
 難しい事をしなくてもいいと思うよ。隣に座っているだけでいいんじゃないかな。
 お互いに頑張りましょう。

>チハルさん
 コメントが来るなんて( ゚Д゚)ヒョエー
 いつもありがとう。
 長生きしようね。
 
Posted by サワ at 2005年01月08日 00:41
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